デザイン会社ブリックのデザイナーは元クラシックカーの板金塗装 工。自動車はもちろん素材や機械、工具が大好きなのです。
About
最初のお仕事は板金塗装工
東京都新宿区の株式会社BRICK(ブリック)は、元クラシックカーの板金塗装工だった僕が始めた広告/デザイン制作会社でございます。へこんだり傷ついてしまった車をとんかちで叩いたり色を塗ったりして直す、あのお仕事をしておりました。大学生のころは中学校の美術教師なんてどうかな?と思ったこともございました。美術系の教養学部で教育実習までやって卒業したものの、教師にも広告デザイン業界にも進みませんでした。車とアメリカングラフィティーが好きすぎて、本能のままに旧いアメ車のレストア会社に飛び込んでしまったのです。行動が動物すぎて恥ずかしい限りでございます。
ストイックな毎日
親方に怒鳴られ、ゲンコツをくらいながら板金塗装を学ぶ毎日でございました。どの言葉もスジが通っており、悪いのは明らかに僕でしたのでビクビクはしておりましたが充実しておりました。面接時に工作好きをアピールしていましたので、基本業務の合間にパーツの製作やショーカー用の広告制作をさせていただきました。広告制作は幼い頃から父の仕事場に入り込んで見たり/イタズラをしておりましたので、見よう見まねで何となく作っておりました。休みは週1日。始業は朝8時から、終業は深夜2時を過ぎます。旧いアメ車はとにかくパーツが大きくて重いため、運動部で体力に自信のあった僕でもクタクタ。それでも「帰る前に自分の工具は新品に戻すような勢いで手入れをしろ!」と厳しく言われる毎日でございました。ストイックでしたが、手に職を得たかった僕に仕事への誇りを自覚させていただいたお仕事でございました。次第に腕を上げ、お客様が喜んでくれている様子を物陰から覗き見るたびに「得意なことを活かして役に立つというのは気持ち良いものだな」と思うようになりました。「仕事とは社会貢献だ」と、どこかで聞いたその言葉が腑に落ちた職場でございました。
気がゆるむと大怪我をするお仕事
ある時、シンナー中毒で脳も溶けず、失明もせず、2トン越えのアメ車の下敷きにもならず、工具で手首を飛ばすこともなく日々を過ごせていることに気づきました。怒られるポイントや工具の手入れをする大切さがこういうところにつながっているのだなと理解できたのもその頃でございました。その後、経営面で不祥事があったようで、あっけなく会社はふっとび無職になりました。
メーカーというお仕事を知る
職を失いフラフラとフリーターだった時に、父の広告制作会社ドラフトでPB(プライベートブランド)事業があることを聞かされました。ドラフトはグラフィック(平面デザイン)関連は得意なようですが、立体的な商品作りで行き詰っているとのことでした。「得意なことを活かしてみないか?」というキッカケで、父の会社である株式会社ドラフトへコネ入社させていただくことになりました。僕がここで学んだことはデザインではなくてメーカーのお仕事でした。大きく分けると、企画立案/プロトタイプ製作/工場交渉/生産管理/営業/広告/入荷管理/在庫管理/顧客管理/顧客対応/帳票類発行/経理/売上仕入管理/配送/納品/部分的なアウトソーシング/入金管理/顧客サポートなどがございます。小さな事業でございましたので多くの人件費は捻出できず、1人で何役もこなして回さないと毎月の損益分岐点はクリアできません。年々取引の種類や数が増えて行きましたが、とにかく商品原価が高く、増員用の人件費を捻出することなど叶いませんでした。人を増やせれば部門を分けて分担できます。しかしそれは無理でしたので引き続き孤軍奮闘にて尽力させていただきました。ちょっと解ったことは、家族経営の商店でも大企業であっても、企画から入金までの作業は規模が違うだけで同じようなものなのだということです。もちろん人を増やせるということはその分事業が成長している証と言えますが、ご存知の通り、人が増えるほど人間関係が複雑になります。そこの統制はまた新たな悩みの種といえるかもしれません。
自分の給料を毎月捻出する大変さ
ひとつの業務を「点」と例えた時、それらが輪のように並んで回り続けないと利益が出ません。僕はこれを「商売の輪」と勝手に名付けてございます。利益が出なければ給料も固定費も材料代も出ません。ひと月だけ利益が出てもダメでございます。スポットでの売り上げにいちいち手応えを感じたり、浮かれている場合ではございません。商売の輪が利益を出しながら何年/何十年と継続して回り続けないと、市場において何の価値も持たないということを痛感いたしました。そしてPBの仕事を経験することで、広告デザインのお仕事とは商売の輪の中の1点であることを理解いたしました。この世に数ある事業のうちのほんの一例ではございましたが、メーカーというお仕事でお金をいただくまでの全体像を知ることができたこと、これは代えがたい経験となりました。
接客というお仕事
大学では玩具の研究をしておりました。父の会社を退職後、知り合いに勧められておもちゃ屋で働くことになりました。昔も今も止まらぬ少子化において、おもちゃ屋が生き残るためには世界を見据えた通販事業の拡大が最善策でございました。その応援のために入社させていただいたのでございます。通販業務のかたわら実店舗での販売員をしたりと大忙しの毎日でございました。学びとなったことは、問屋から届く山積みの段ボールにはメーカーが制作した販促ツールが同梱されてくることがあるのですが「この限られた販売スペースに一体どうやって使うのか...」と頭を悩ますものが多かったことです。なるほど現場と企画/制作デスクのあいだには大きな隔たりがあるのだなと知ることができました。
顧客サポートというお仕事
心身ともに大変だったのは、業務の合間に届く大量のメールと電話でした。特に、お年玉商戦/こどもの日/クリスマスはものすごい量でございます。初期不良品/返品/入荷数不足といった通常サポートに加え、繁忙期は運送会社が指定日や時間を守れない/間違えてしまう割合もいっきに増えてしまいます。おもちゃ屋といっても、堅気の方ばかりがお客様ではございません。電話を取ると「●すぞコラ」といったドスの利いた怒鳴り声や、金切り声で「訴えてやる」など、身の引き締まるお問い合わせもございました。「お客様は神様」と言って良いのは原則として販売側のみですので、当時は平常心を胸に、思うところはたくさんございました。今となってはこの手のニュースを見聞きするたびに、通販あるあるな風物詩だなぁと懐かしく思うのでございます。おもちゃ屋(販売側)からすれば多くのお客様のうちのお一人にすぎないかもしれません。しかしながらお客様からすれば注文からお支払い、到着後のサポートまでを一貫して頼りたい唯一の相手でございます。まるで「生徒と担任教師のような関係なのだな」と考えさせられました。担任の教師は愛情をもって生徒一人一人とフルオーダーで向き合うことで小さなほころびを繕い続け、クラスの平和が1日でも長く続くよう尽力するのでございます。このことを実践で学べただけでも大きな収穫でございました。
デザインというお仕事
その後も色々ございまして、HP制作専門会社に在籍していた頃はCMS(コンテンツ・マネジメント・システム)/コーディングによるHP制作/SEO(検索エンジン最適化)の経験を重ね、ベテランデザイナーがいる広告制作会社では亜流で積み上げてきた悪癖をスパルタ式で叩き直してもらったりで、段々と自分が進む道が見えてきた次第でございました。父は僕が車業界で生きて行くものだとすっかり思い込んでいましたが、今では「いつどこで学んだのか知らないが、君のデザインからは強い独自性と意志を感じる。」と言ってくれるようになりました。
なんだかんだ父と同じようなお仕事
ブリックは、自動車/乗り物全般/機械いじり/おもちゃ/プラモデル(模型)/工具/素材/塗装/工作など工業系の世界が大好きなデザイン制作会社ということをひとまず特徴にして設立いたしました。ふと思うのですが、デザイン業務以外で経験したことがブリックのお仕事で結構役に立っている感じがしているのでございます。
ブリックを立ち上げました
父の会社を継ぐ継がないの話はあったようで、何度か僕にその旨の打診がございました。デザイン会社は芸術の知識を使った業種でございます。デザイン会社の代表が入れ替わるということは、その会社のセンスがまるっと入れ替わってしまうことですので大事件なのでございます。例えるなら、バンドのメインボーカルが入れ替わるようなものでございます。入れ替わった後もそのバンドは市場で成立するかどうかというお話になるのでございます。お気に入りのアーティストがいらっしゃるようでしたら、ボーカルが入れ替わっても聴き続けたいかどうか想像なさってみてくださいませ。時間はかかるが可能という意見もございましたが、多くの人員を抱えた事業において毎月消費されるお金のスピードは想像のはるか上。もはや大気圏外状態なのでございます。損益分岐点をクリアできる売上を確保し続けるためには、スポット案件をかき集めているようでは間に合いません。数ヶ月で資金がショートいたします。もはやレギュラー案件や長期制作案件が絶対必要条件なのでございます。もちろん「実績」と「信頼」がないとこのようなどっしりとした案件の受注は出来ません。クライアントの役員会議で稟議が承認されるわけがないのでございます。結局、市場に受け入れられる前に運転資金が尽きてしまうことは明らかでございました。そもそもドラフトで名声を上げてきた方々やお取引先様にとって、雑務担当の僕が受賞歴あまたのデザイン会社を引き継ぐなど想像できないことかと存じます。そんな考えもありまして、僕は自分で会社を立ち上げた次第でございます。
自分の専門技術に付加価値を
僕の職務経歴はすでに真っ黒でございます。どこで勤務しようと活かせる専門的な技術は何であるのかが曖昧になってしまいました。ポジショニングが定まっていないダメな経歴といえます。父の会社で経験したメーカーの雑務は確かに大変でございました。ただ、職場が変われば通用しない実務が多く、世間的には流用しづらい経験でございました。慌てて商業簿記2級を取得することで「お金の管理もしておりました」と、資格という基準を用いて己をポジショニングできないものか足掻いたりもいたしました。考えるほど悲観してしまいますので、それではせっかく立ち上げたブリックにとって何ひとつ良いことはございません。「今までの経歴も含めて広告/デザイン制作会社ブリックの付加価値にしてしまおう」と、今となっては前向きに考えて運営している今日この頃でございます。
さいごに
商売に溶け込みながら広告作りをしてきた僕なりの経歴は、まっすぐデザイン道を進んでこられたサラブレッドのような方々からすると亜流・異質・異端であり、デザイン業界の人間として到底輪に入れてもらえない存在でございます。それでも誰かのお役に立てるかもしれないと信じて、今日も運営させていただいている次第でございます。カタログやチラシなどの平面デザイン(グラフィックデザイン)/ホームページ(ウェブサイトとも言います)の制作/立体的な工作/一生懸命描いても変な雰囲気になってしまいますがイラスト作成なども承っております。日本にはたくさんの優秀なデザイン会社がありますが、ブリックというデザイン会社も存在しているんだなと知っていただけましたら幸いでございます。